La Brezza Italiana !!
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ユネスコのページは世界遺産選定理由など、関連サイトは写真などが楽しめます。文章出典「ブリタニカ」
 
バルカモニカの岩石画 水上都市ベネチア サンタ・マリア・デレ・グラツィエ聖堂 フィレンツェの旧市街 ピサの大聖堂広場
サンジミニャーノの旧市街 マテラの洞窟住居,洞窟聖堂 ビチェンツァ市街とパラディオの建築物群 シエナの旧市街 ナポリの旧市街
クレスピ・ダッダ フェララのルネサンス期の町並み カステル・デル・モンテ アルベロベロのトゥルッリ ラベンナの初期キリスト教建築物
ヴィエンツァの町並み カゼルタ宮と庭園,水道橋,サン・レウチョ邸 サボイア家の王宮(→トリノ) パドバの植物園 モデナの大聖堂,チビカ塔,グランデ広場
ポンペイ,エルコラーノなど遺跡 ビラ・ロマーナ・デル・カサーレ スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ ポルトベネーレ,チンクエテッレと小島群 アマルフィ海岸
アグリジェントの遺跡 アクイレイアの遺跡と司教座聖 チレント・ディアノ渓谷国立公園,とエレアの遺跡 ウルビノの旧市街 ハドリアヌス帝のビラ
シラクーサとパンタリカ岩壁古墳 チェルヴェテリとタルキニアにあるエトルリアのネクロポリ(死者の町) ヴァル・ドルチャ(Val d' Orcia) サクリ・モンティ(Sacri Monti of Piedmont and Lombardy) ーーーーーー
ローマはこちらからどうぞ

630の世界のユネスコ世界遺産のページへ(英語)==このページはユネスコのページを改訂して使わせて頂いています。

イタリアの世界遺産 2003 サクリ・モンティSacri Monti of Piedmont and Lombardy
  サクロモンテ(聖山)の造営は15〜16世紀、 エルサレムを模した新たな祈りの場を形成するために始まった。 フランチェスコ会の修道士は聖遺物を収める場として3つの地を選んだ。 それがミラノ公国領にあるVarallo、トスカーナ地方のMontaione、ポルトガル北部のBragaで、 それぞれエルサレムに似せて造られた。   数年後、 1535年に開かれたトリエント公会議(注1)において聖山は迫る宗教改革の波に対抗し、 よりカトリック信者の教義を堅固にするため、 1480年ごろに建てられたVaralloの新エルサレムを始め、 ミラノ公国元老院の管轄の下に、 聖母マリア、聖三位一体、聖人を祭った聖山を多く建てた。   ミラノ公国の修道僧カイミ神父が造り上げた聖山を始め、 トリエント公会議以来 Crea,Orta,Varese,Oropa,Ossuccio,Ghiffa,Domodossola,Valperga の8つの地に新たな聖山が造営された。 Varalloに建てられたものを参考にそれぞれが独特の芸術的、 建築的特徴を持っている。   その後も聖山は建てられたが、 宗教改革の波が去り、 聖山造営の機運も収まると厳格な戒律に基づかない建築になっていった。 (HP世界資料館より引用、下記リンク参照)

関連サイト(イタリア)
"サクリ・モンティ(HP世界資料館より)"

イタリアの世界遺産 1980 Syracuse and the Rocky Necropolis of Pantalicaシラクーサとパンタリカ岩壁古墳
 シチリア島は古代ギリシャ時代からギリシャ植民地が多く建設され、シラクーサもそのひとつ、ギリシャ世界の重要な政治・文化拠点として繁栄した。ギリシャの幾何学者アルキメデスも生まれている。ローマ帝国時代にはギリシャ、エジプトへの拠点として重要な軍港であった。  「最もすばらしいギリシャ都市で、どこよりも一番美しい」、「最も偉大かつ壮麗なギリシアの町」(キケロ)と賞賛を浴びたシラクーサには、町の北側の斜面には、ギリシア時代の劇場や、ローマ時代の円形競技場などの巨大建造物が点在し、栄華の歴史の跡が考古学地域(Zona archeologica)に今も多く見られる。    映画「マレーナ」の舞台となったイオニア海のオルティジア島が近くにある。美しい景色が望める。また、パンタリカ岸壁古墳は、シラクーサから約50kmのところにあり、岩肌に5000を超える墓が掘られている。シラクーサへは、列車でカターニアから約1時間半、タオルミーナから約2時間、パレルモからバスで約3時間半。2005年7月登録。

関連サイト(イタリア)
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イタリアの世界遺産 2004 チェルヴェテリとタルキニアにあるエトルリアのネクロポリ(死者の町、Etruscan Necropolises of Cerveteri and Tarquinia) シラクーサとパンタリカ岩壁古墳
 紀元前9〜2世紀頃にトスカーナ州、ウンブリア州西部、ラツィオ州北部一帯に栄え、極めて高度な文明生活を営んでいたエトルリア人、そのエトルリア文化の偉業と独特な死生観、宗教観を現代に伝える大規模なネクロポリ(「死者の町」を意味する墳墓の遺跡)である。  エトルリアの家を再現したトゥムロ(円形の台の上に土をもりあげた塚)とよばれる墓と広場が、まさに生前の世界と同じような街並みを作る。    タルキニアの丘には、紀元前6世紀頃の地下墳墓がおよそ6,000もある。そのうちいくつかは内部の壁が色鮮やかな壁画で飾られ、日常生活を生き生きと描いた芸術的にも質の高いフレスコ壁画を見ることが出来る。

関連サイト(イタリア)
"エトルリア考古学に見せられて"

イタリアの世界遺産 2004 ヴァル・ドルチャ(Val d' Orcia)
 ヴァル・ドルチャ(Val d' Orcia)とは、シエナ市の南東30〜60kmにわたって糸杉並木やブドウ畑、オリーブ畑が広がる牧歌的な田園地帯を言う。中世からルネッサンス時代にかけて形成された集落の街並みや城などが、オルチャ川とその支流の作り出す渓谷や周囲の田園と美しい景観を作っている。中世の主要道路フランチジェナ街道はヴァル・ドルチャ地方の中心を通っており、その沿線付近にラディコファニ(Radicofani)、カスティリオーネ・ドルチャ(Castiglione d'Orcia)、サン・クウィリコ・ドルチャ(San Quilico d'Orcia)、ピエンツァ(Pienza)、モンタルチーノ(Montalcino)など、中世時代からの歴史のある芸術の町がある。この5つの町全域が「ヴァル・ドルチャ美術・自然・文化公園(Parco Artistico Naturale e Culturale della Val d'Orcia)」になっており、大部分が自然保護地域に指定されている。モンタルチーノは「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」のワインでも有名である。

関連サイト(イタリア)
"ヴァル・ドルチャ(HP世界遺産資料館より) "

イタリアの世界遺産 1979 Rock Drawings in Valcamonica(ヴァルカモニカ渓谷の岩窟画)
イタリア北西部,ロンバルディア州を流れるオリオ川流域の渓谷。流域の岩壁 70km2にわたって刻まれた岩石画で知られる。最も古いものは前 8000年に描かれたとされるが,多くは前 18世紀 (前期青銅器時代) から前2世紀 (鉄器時代) 頃のもので,数は 14万点に及ぶ。狩猟・農耕などの生活風景のほか,儀式や祭礼,戦争などが時代とともに変化していく様子がいきいきと表現されている。 20世紀初頭に発見されるまで苔 (こけ) や雑草,雑木林などに埋もれていたため,無傷のままの姿を保った。半世紀ののち,ようやく学術調査が開始され,岩石画の歴史的重要性があらためて認められるようになった。渓谷中程にあるナクアネ岩壁彫刻画国立公園でその作品群を見ることができる。 1979年世界遺産の文化遺産に登録。

関連サイト(イタリア)
Rock Art and Petroglyphs in VALCAMONICA (Coop. Archeologica Le Orme dell'Uomo)

イタリアの世界遺産 1980 Church and Dominican Convent of Santa Maria delle Grazie with "The Last Supper" by Leonardo da Vinci
(ミラノのドミニコ修道院と「最後の晩餐」)

イタリア,ミラノにあるドミニコ修道会の聖堂。バシリカ式の本堂は 1460年代に完成。内陣部はブラマンテの設計により 90〜97年 (1480年代末に始められ,90年代を通じて工事が継続していたとする説もある) に建造された。集中式聖堂で,外観は煉瓦壁にメダイヨンを規則的に並べた優雅な構成である。付属修道院食堂のレオナルド・ダ・ビンチの壁画『最後の晩餐』が有名。 1980年世界遺産の文化遺産に登録。

関連サイト(イタリア)
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イタリアの世界遺産 1982 Historic Centre of Florence(フィレンツェの歴史地区)ー☆「La Brezza Italiana」フィレンツェのページ☆
英語ではフローレンス Florence。イタリア中部,トスカナ州の州都。フィレンツェ県の県都でもある。ローマ北北西約 233kmに位置し,アルノ川にのぞむ。古くから交通の要地として栄え,4世紀にはキリスト教の司教座がおかれ,中世には絹・毛織物工業で繁栄したが,13〜14世紀には教皇派と皇帝派に分れて抗争した。 15世紀中期よりメディチ家の支配が始り,その保護下でレオナルド・ダ・ビンチ,ラファエロ,ミケランジェロらが活躍,ルネサンス文化が開花した。 17世紀にはトスカナ大公国の首都となり,1865〜71年はイタリア王国の首都。その後もトスカナ地方の文化,商業の中心地であった。現在はピッティ,ウフィツィ両美術館をはじめ約 40の美術館,1349年創立の大学,美術,工芸を中心とする人文関係の研究所が多数あり,また金銀細工,ガラス,陶器,皮革,麻製品など工芸の中心地でもある。化学,精密機械工業も発達。建築家 F.ブルネレスキの設計による 13〜15世紀の歴史的建造物が多く,サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂,サン・ロレンツォ聖堂などがある旧市街は 1982年世界遺産の文化遺産に登録された。周辺は昔から花卉の名産地で市の名称もそれに由来。人口 40万 2316 (1991推計) 。

関連サイト(イタリア)
Comune di Firenze
Cupola Live (view from Brunelleschi's Cupola of Cathedral S. Maria del Fiore)
LIMONAIA AT BOBOLI GARDENS AND GARDENS OF VILLA MEDICI AT CASTELLO, FLORENCE (World Monuments Watch)
http://www.provincia.firenze.it/
http://194.185.87.11/fiorentina/
イタリアの世界遺産 1987 Venice and its Lagoon(ヴェニツィァとその潟)ー☆「La Brezza Italiana」ヴェニツィアのページ☆
英語ではベニス Venice。イタリア北東部,アドリア海北西岸にあるベネト州の州都,港湾都市。ベネチア県の県都でもある。市はベネチア湾奥の潟湖の多数の島から成り,約 400の橋によってつながれる。市街地を2つに分ける大運河があり,そのほか二百余の運河が発達,「水の都」と呼ばれる。 567年頃ロンバルディアからの避難民が湾のほとりに集落をつくったことに始る。7世紀末に共和政総督 (→ドージェ ) 下に統一。初めはビザンチンの支配下にあったが,十字軍の活動の結果貿易の中心となり,1381年ジェノバを破り,14〜15世紀にはベネチア共和国として繁栄の頂点に達した。しかし,オスマン帝国の攻勢の激化と周辺諸国との戦争,さらに大航海時代以後東西貿易の主要港としての地位を喪失したことなどにより衰退が始り,18世紀末にはナポレオンが占領,1866年イタリア王国に併合された。最盛期には多くの芸術家が集り,絵画ではベネチア派が興り,19世紀にはイタリア・バロック音楽の中心地となった。現在は宝石,工芸品の製造,繊維工業のほか,特にガラス工芸は有名。新しく市域に編入された対岸,特にマルゲラ港付近のメストレ地区には化学,冶金,製鉄,機械製造,造船,石油化学などの近代工業が興り,公害問題が発生している。湿気と地盤沈下もまた大きな問題となってきた。ローマ,フィレンツェと並ぶ観光地でビザンチン建築の代表サン・マルコ大聖堂などの名所が多い。 1987年世界遺産の文化遺産に登録された。人口 30万 8717 (1991推計) 。

関連サイト(イタリア)
Venetia - Comune di Venezia
Venetia - the Web Site of Venice
The Doge of Venice (Venezia Net)
UNESCO Campaign to Save Venice
http://www.provincia.venezia.it/
http://www.venetia.it/
イタリアの世界遺産 1987 Piazza del Duomo, Pisa(ピサのドゥオーモ広場)
イタリア中西部,トスカナ州ピサ県の県都。フィレンツェの西南西約 65km,リグリア海に注ぐアルノ川の河口から約 10kmさかのぼったところに位置する。前3世紀頃ローマの軍港として建設され,11世紀には最も貿易活動が活発な商業港として,ジェノバやベネチアと並び称された。町は第1回の十字軍に加わり,艦隊はその後も各地で活躍したが,12〜13世紀を繁栄の頂点として以後次第に衰微した。市街は中世の城壁によって囲まれる。冶金,繊維,ガラス,大理石加工の諸工業が盛ん。有名な斜塔は 1173〜1350年の建設で,296階段をもち,高さ 54m。斜傾は地盤が軟らかく,基礎工事が不完全なことから起ったもので,その傾きの度は年々増している。斜塔が付属している大聖堂 (→ピサ大聖堂 ) は 1063年着工,白と黒の大理石でできており,ほかにピサ・ロマネスク様式の洗礼堂がある大聖堂広場は,1987年世界遺産の文化遺産に登録。 12世紀建設でカンポサントと呼ばれる墳墓,1343年創立の大学なども知られる。 G.ガリレイの生地。人口9万 8006 (1991推計) 。

関連サイト(イタリア)
Pisa in Virtual Reality
http://www.provincia.pisa.it/
http://www.comune.pisa.it/

イタリアの世界遺産 1990 Historic Centre of San Gimignano(サン・ジミアーノの歴史地区)ー☆「La Brezza Italiana」サンジャミャーノのページ☆
イタリア中西部,トスカナ州シエナ県,フィレンツェ南西約 38kmにある町。ローマ時代からの古い町で,中世には独立国であったが,のちフィレンツェ領となる。多くのゴシック様式の建築物や塔,中世の城壁,城門,町並みを最もよく残しており「美しき塔のサンジミニャーノ」と呼ばれる。観光地として,またキアンティ・ワインの産地として知られる。 1990年世界遺産の文化遺産に登録。人口 7043 (1991推計) 。

イタリアの世界遺産 1993 I Sassi di Matera(マテーラの洞窟住居)
イタリア南部,バジリカータ州南東部マテラ県の県都。バリ南西約 55km,深い峡谷を見おろす標高 400mの丘陵に位置する。低地の旧市と高地の新市とから成るが,新市が活動の中心で,果樹栽培地帯の集散地となっており,製粉,羊毛,製陶などの工業も立地。パスコリ広場からの眺めは美しく,市内には 13世紀建造の大聖堂,バロック様式の聖フランチェスコ聖堂などがある。洞窟住居,洞窟聖堂は 1993年世界遺産の文化遺産に登録されている。人口5万 3775 (1991推計) 。

関連サイト(イタリア)
Comune di Matera
RUPESTRIAN CHURCHES OF PUGLIA AND THE CITY OF MATERA (World Monuments Watch)
http://www.sangimignano.com/ &en
イタリアの世界遺産 1994 The City of Vicenza and the Palladian Villas of the Veneto
(パラーディオの街ヴィチェンツァ)

古代名ウィケティア Vicetia。イタリア北部,ベネト州ビチェンツァ県の県都。ベネチア西北西約 65kmに位置する。中世には独立の共和国を形成したが,1404年にベネチアに従属し,15世紀には絵画で一派をなすほど文化が栄え,「陸のベネチア」と呼ばれた。鉄鋼,食品加工,繊維,機械などの工業が行われる。ルネサンス後期の建築家 A.パラディオとその後継者 V.スカモッツィの設計した建物が多く残っており,代表作は大聖堂 (パラディオ,スカモッツィ,1549〜1614) ,キエリカティ宮殿 (パラディオ,1551〜57) ,ビラ・ロトンダ (パラディオ,スカモッツィ,53〜99) 。これらの建築物群は 1994年世界遺産の文化遺産に登録された。人口 10万 7076 (1991推計) 。

関連サイト(イタリア)
Commune di Vicenza
Discover Vincenza
Villa Barbaro at Maser
Un itinerario tra ville vicentine e committenti (Silvia Colla and Alberto Nardi)
Palladio's Italian Villas (Villa Cornaro-Gable)
Palladio Museum (Graduate School of Design, Harvard University)
http://www.provincia.vicenza.it/
イタリアの世界遺産 1995 Historic Centre of Siena(シエナの歴史地区)ー☆「La Brezza Italiana」シエナのページ☆
イタリア中西部,トスカナ州シエナ県の県都。フィレンツェ南方約 50kmに位置する。3つの丘の上につくられたローマ時代からの集落。中世には都市国家としてフィレンツェと覇を競い,13〜15世紀には絵画の一派シエナ派の本拠であった。城壁に囲まれた旧市街は煉瓦や石で造られた中世の町並みがそのまま残り,1995年世界遺産の文化遺産に登録。ロマネスク・ゴシック様式やルネサンス期の聖堂が多数あり,いずれも絵画を所蔵する。多色の大理石を使ったシエナ大聖堂は,イタリアのゴシック建築のなかで最も美しいものの1つといわれる。美しいカンポ広場で行われる競馬パリオは中世に起源をもち,はなやかな祭りとして多くの観光客を集める。 14世紀最大の神秘家といわれる聖女カタリナ (1347〜80) の生地としても知られる。農業地帯の中心都市で,農産物の集散,加工にあたり,特にワインは「キアンティ」の銘柄で有名。大理石の産出も多い。化学工業,農業機械の生産,家具製造なども行われる。人口5万 6969 (1991推計) 。

関連サイト(イタリア)
Comune di Siena

イタリアの世界遺産 1995 Historic Centre of Naples(ナポリの歴史地区)ー☆「La Brezza Italiana」ナポリのページ☆
イタリア南部,チレニア海のナポリ湾北岸にのぞむ都市。カンパーニア州の州都。ナポリ県の県都でもある。ギリシア人の植民都市ネアポリス (新しい都市の意) として建設され,ローマ時代には皇帝の保養地となった。ビザンチンの支配を経て独立し,9〜10世紀には,ナポリ艦隊がサラセン人との戦いに活躍。その後,ノルマンやフランス,スペイン,オーストリアなどの支配を受けたが,ナポリ王国あるいは両シチリア王国の首都がおかれ,イタリア南部の中心都市となった。イスキア,カプリなどの島に保護された良港をもつ,典型的な地中海性気候の都市で,オレンジ並木,サンタルチア海岸,カステル・ヌオーボ城 (13世紀) ,王宮 (1651) ,オペラの殿堂サンカルロ劇場 (1737) ,200以上の聖堂,大聖堂などを擁する旧市街は 1995年世界遺産の文化遺産に登録された世界的な観光地。国立考古学博物館は,特にポンペイ遺物の収集で知られる。 1224年創設の大学の所在地。沖合いのカプリ島や東方ベズビオ火山などの観光地めぐりの基地でもある。港を中心にナポリ大都市圏が形成されており,製鉄,精油,化学,自動車,航空機,食品加工などの工業も盛ん。肥沃なカンパーニア平野を控えて,ムギ類,果実 (オリーブ,オレンジなど) を集散。イタリア第2の貿易港で,おもに食料品を輸出し,工業原料を輸入する。 1980年 11月 23日地震により大きな被害を受けた。人口 105万 4601 (1991推計) 。

関連サイト(イタリア)
http://www.napolivirtuale.com/ (Kalore)
Naples in Virtual Reality
Neopolitan Tourist Network Project
http://www.comune.napoli.it/
http://www.provincia.napoli.it/
http://www.napolivirtuale.com/
イタリアの世界遺産 1995 Crespi d'Adda(クレスピ・ダッダの企業都市)
イタリア北西部,ロンバルディア州のアッダ川流域に建設された産業労働者のためのカンパニー・タウン (同業組合の町) 。 19〜20世紀初頭,産業革命の進展とともに,よりよい労働条件を望む労働者の要求にこたえ,啓蒙的な事業家が住居を提供する事例が数多くみられた。そうしたなかの1つで,赤煉瓦の屋根が続く美しい町並みが保存されている。家屋の一部は現在も産業利用されているが,地理的条件から産業人口は減少を続け,経済環境も悪化し存続が危ぶまれている。 1995年世界遺産の文化遺産に登録。

関連サイト(イタリア)
Crespi d'Adda, villaggio operaio di fine ottocento

イタリアの世界遺産 1995 Ferrara, City of the Renaissance and its Po Delta(ルネッサンス都市フェッラーラ)
イタリア北部,エミリアロマーニャ州フェララ県の県都。ポー川支流のポーディボラノ川にのぞみ,ボローニャの北東約 48kmに位置する。かつてポー川河口に広がっていた潟湖の住民によってつくられた集落を起源とし,古代にはフォルムアリエニと呼ばれた。中世には独立の都市となり,1240〜1598年はエステ家によって支配され,その保護を受けて芸術,文学が栄え,ルネサンスの一中心地となった。のち教皇領となり,1832〜59年のオーストリアによる占領後,60年サルジニア王国に帰属した。農産物の集散地で,食品,プラスチック,肥料などの工業も発達。城壁に囲まれ,エステ家の居城や 12世紀の大聖堂がある市街は,1995年世界遺産の文化遺産に登録された。大学図書館には L.アリオストや T.タッソのものをはじめ貴重な古文書が多い。人口 13万 7336 (1991推計) 。

関連サイト(イタリア)
Ferrara (FERRARA nella "rete")
Ferrara Live (Immagica)
Ferrara (Comune di Ferrara)
http://www.provincia.ferrara.it/
イタリアの世界遺産 1996 Castel del Monte(カステル・デル・モンテ)
イタリアのプーリアにある城。 13世紀前半に神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世によって造営された。正八角形のプラン (床面) をもち,おのおのの角はやはり正八角形の小塔が設けられている。正面入口の破風の形やピラスタ (片蓋柱) には,フリードリヒ2世の古代趣味が現れている。 1996年世界遺産の文化遺産に登録。

関連サイト(イタリア)
Castel del Monte (Andria) ( RETE CIVICA di BARI on line)

イタリアの世界遺産 1996 The Trulli of Alberobello(アルベロベッロのトゥルッリ)
イタリア南東部,プーリア州バリ県の町。バリの南東約 50kmにある。トゥルッリと呼ばれる独特の丸屋根の家並みは 1996年世界遺産の文化遺産に登録された。観光業以外のおもな産業は,農業,機械製作およびろう製品の製造など。人口約1万。

関連サイト(イタリア)
Alberobello (Assessorato al Turismo Comune di Alberobello)
http://www.alberobello.net/
イタリアの世界遺産 1996 The Early Christian Monuments and Mosaics of Ravenna(ラヴェンナの初期キリスト教建築群)
イタリア北部,エミリアロマーニャ州の東部,ラベンナ県の県都。ベネチア南方 110km,アドリア海岸に近い平地を占める。かつてはポー川分流の河口に近く,港となっていた。テッサリア人が建設し,前 191年にローマの支配下となった。 402年に西ローマ帝国初代の皇帝ホノリウスが移って種々の施設を造り,首都として市街も整備された。その後,ランゴバルド,ビザンチン,ベネチア,教皇と支配が交代し,1860年にサルジニア王国に併合された。現在は干拓,排水によって造成された農業地域の集散地で,コルシニ運河で海と結ばれる。付近から天然ガスを産出し,食品,繊維,化学,石油化学などの工業が発達。初期キリスト教文化の宝庫といわれ,5〜8世紀に建設されたガラ・プラキディア廟,サン・ビターレ聖堂,ネオニアノ洗礼堂,サンタポリナーレ・ヌオーボ聖堂など,いずれもモザイクの美しい歴史的建造物は,1996年世界遺産の文化遺産に登録されている。人口 13万 5435 (1991推計) 。

関連サイト(イタリア)
Ravenna Live (Immagica)
http://www.provincia.ravenna.it/
http://www.comune.ravenna.it/index/index_1024.htm
イタリアの世界遺産 1996 The Historic Centre of the City of Pienza(ピエンツァの歴史地区)
イタリア中西部,トスカナ州シエナの南東約 40kmに位置する町。 15世紀中期,シエナの領主ピッコロミニ家出身の教皇ピウス2世が,建築家ベルナルド・ロッセリーノに依頼して新しい都市づくりに着手し,ルネサンス様式の理想都市として整備された。ピウス2世広場を中心にルネサンス様式のピッコロミニ宮殿,ゴシック様式を取入れた大聖堂のほか,ボルジア宮殿などが配置されている。さらに住民に対しても住居を新しい町に調和したものにするよう義務づけたため,町全体としての大規模な都市整備が実現した。 1996年世界遺産の文化遺産に登録。

関連サイト(イタリア)
Comune di Pienza
http://www.nautilus-mp.com/tuscany/reticiviche/comunepienza/
イタリアの世界遺産 1997 The 18th-Century Royal Palace at Caserta with the Park, the Aqueduct of Vanvitelli, and the San Leucio Complex
(カゼルタ王宮と庭園)

18世紀前半に,イタリア,ナポリ近郊のカゼルタに,両シチリア王カルロ4世 (のちのスペイン王カルロス3世) が遷都を考え,L.バンビテルリに命じて計画させた宮殿と庭園。カルロ4世が建設途中にスペイン王に即位したため遷都は実現しなかったが,1752年に始る建設は 74年にほぼ完成し,宮殿は 253m× 202mとヨーロッパ最大級の規模であり,庭園も 3kmの水路を主軸とする広大なものとなった。カルロ4世がルイ 14世を曾祖父とするため,明らかにベルサイユ宮殿を意識した点が随所にみられ,庭園は山上の大グロッタからの水がカスケードを流下し,大カナルを流れる構成など,イタリア式庭園とフランス式庭園の要素が重なり合っている。バンビテルリの当初の計画では王宮前に広場が造られ,そこからナポリまで一直線に大通りが通される予定であった。同じくバンビテルリによる水道橋,サン・レウチョ邸とともに 1997年世界遺産の文化遺産に登録。

関連サイト(イタリア)
The Royal Palace at Caserta (Soprintendenza per i Beni Ambientali Architettonici Artistici e Storici)

イタリアの世界遺産 1997 The Residences of the Royal House of Savoy (トリノのサヴォイア家の王宮と庭園)
イタリア北西部,ピエモンテ州の州都,商工業都市。トリノ県の県都を兼ねる。ミラノの西南西約 140km,アルプスから流下するポー川とドラリパリア川との合流点付近に位置する。モンブラントンネルによってフランスと結ばれている。古代ローマの植民都市として栄え,中世にはランゴバルド王国の一部となった。 1536〜62年の間フランスに支配され,1720年以降サルジニア王国の首都として発展。 19世紀にはイタリア統一運動の中心地となり,1861〜64年イタリア王国の首都。第2次世界大戦では,多くの被害を受けた。現在,ミラノに次ぐイタリア2番目の工業都市。イタリア北西部の鉄道,道路交通の要衝として,自動車,航空機,繊維,ゴム,食品,車両,各種機器などの工業が盛ん。特に自動車はフィアット社の本拠地として有名。またベルモット酒は特産物。マダマ宮 (13〜19世紀) ,カリニャーノ宮 (17世紀) ,古代ローマの城門,聖ジョバンニ大聖堂 (15世紀) ,大学 (1405創立) ,建築・工学研究所,美術アカデミー,博物館などがある。サボイア家の王宮は 1997年世界遺産の文化遺産に登録。人口 96万 1916 (1991推計) 。

関連サイト(イタリア)
The residences of the Savoy Family (Regione Piemonte)
City of Turin (Comune di Torino)
http://www.juventus.it/
http://www.comune.torino.it/
http://www.provincia.torino.it/

イタリアの世界遺産 1997 The Botanical Garden (Orto Botanico), Padua (パドゥアの植物園)
古代名パタウィウム Patavium。イタリア北東部,ベネチア西方の平野を占めるベネト州パドバ県の県都。バッキリオーネ川にのぞむ。ローマ帝国時代に北イタリアで最も栄えた都市の1つで,商業,芸術活動の中心 (ダンテもここに住んだ) をなしてきた。 12〜14世紀には自治都市として繁栄。 1405年以来ベネチアの支配を受けた。機械,車両,精糖,化学,繊維,食品などの工業が行われ,ベネチア,ミラノ,ボローニャ方面への鉄道の分岐点。市内には 1222年に皇帝フリードリヒ2世により創設され,G.ガリレイなどが教えたことがあるパドバ大学,1303年に建設され,ジョットのフレスコ画で飾られたスクロベニ礼拝堂や聖アントニオ聖堂などがある。第2次世界大戦中激しい空爆を受け,A.マンテーニャのフレスコ画など貴重な作品が失われた。世界最古の植物園 (1545) でも知られ,1997年に世界遺産の文化遺産に登録されている。人口 21万 5025 (1991推計) 。

関連サイト(イタリア)
Orto Botanico dell'Universit・di Padova (Internet Scuola)
BOTANICAL GARDEN OF PADUA UNIVERSITY (World Monuments Watch)
http://www.provincia.padova.it/
http://www.padovanet.it/
イタリアの世界遺産 1997 The Cathedral, Torre Civica and Piazza Grande, Modena(モデナの大聖堂、鐘楼、グランデ広場)
イタリア北部,エミリアロマーニャ州モデナ県の県都。ボローニャ北西約 40km,アペニン山脈の北麓を通るエミリア街道の要地にあたり,州の中心都市。ケルト人の町であったがローマ時代には植民都市となり,その後異民族の侵略を受けて破壊されたが,1288〜1796年エステ家の支配下で発展し,市街が広げられ,宮殿やさまざまな公共建築物が建設された。のち教皇やオーストリアの支配を経て 1860年にサルジニア王国に併合。現在は道路,鉄道交通の結節点として商業活動が盛んで,自動車,機械,食品などの工業も行われる。 11〜12世紀に建設されたロマネスク様式の大聖堂とチビカ塔およびグランデ広場は 1997年世界遺産の文化遺産に登録。ほかにエステ家の図書館と画廊が残る宮殿 (18世紀) などがある。人口 17万 6148 (1991推計) 。

関連サイト(イタリア)
Modena Live (Immagica)
Welcome to Modena (Comune di Modena)
http://www.provincia.modena.it/
http://www.comune.modena.it/
イタリアの世界遺産 1997 The Archaeological Areas of Pompei, Ercolano, and Torre Annunziata
(ポンペイ、エルコラーノ、トッレ・アヌンツィアータの考古地区)

イタリア中南部カンパーニア地方,ナポリ湾東岸,ベズビオ火山南麓にあった古代都市。現在遺跡として発掘中で,古代ローマ文化の様相をそのまま再現している貴重な存在。前6世紀オスク人によって建設され,前5世紀にはサムニウム人の町となったが,前 89年にローマの将軍 L.スラによる長期の攻囲ののち陥落。次第にローマ化され,風光明美なため貴族の別荘地となった。 62/3年に震災を受けたあと,79年8月 24日ベズビオ火山大爆発により壊滅した。軽石,火山灰が一瞬のうちに5〜20mの高さに降りかかり,市民2万のうち 2000人が死んだ。以後復興されることもなく,その存在は忘れ去られていたが,16世紀末に遺跡の一部が発見され,1763年から本格的な発掘が始められた。現在は都市の5分の4が復元されているが,なお発掘は続行中で,日本の学者も参加している。神殿,議場,広場,大浴場,劇場などが1世紀のままの状態でみられ,多くの観光客を集めている。多数の家屋からは生きながら焼かれた奴隷や犬,金貨を取りに戻ったために死んだ主人の遺骸などが見つかった。市域は楕円形で道路はすべて舗装され,車道,人道の別があり,ところどころに踏み石の横断歩道もある。装飾品や生活用具からはギリシア・ヘレニズムの影響を受けた文化の様が如実にうかがわれる。彫刻,絵画にもみるべきものがあるが,なかでもアレクサンドロス3世 (大王) とペルシアのダレイオス3世とのイッソスの戦いのモザイク画 (→アレクサンドロスのモザイク ) は有名である。市民が書き残した落書きにも秀逸なものが多い。 1997年ヘルクラネウム,トレアンヌンツィアータの遺跡とともに世界遺産の文化遺産に登録。

関連サイト(イタリア)
Pompei Scavi (Uniplan)
ANCIENT POMPEII (World Monuments Watch)

イタリアの世界遺産 1997 Villa Romana del Casale(ヴィッラ・ロマーナ・デルカサーレ)

関連サイト(イタリア)
Piazza Armerina
La Villa del Casale a Piazza Armerina

イタリアの世界遺産 1997 Su Nuraxi di Barumini(バルミニのヌラーゲ・ス・ヌラクシ)

関連サイト(イタリア)
Su Nuraxi di Barumini (Telecom Italia)

イタリアの世界遺産 1997 Portovenere, Cinque Terre, and the Islands (Palmaria, Tino and Tinetto) (ポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレと小島群)

関連サイト(イタリア)


イタリアの世界遺産 1997 The Costiera Amalfitana (アマルフ海岸)
イタリア南部,カンパーニア州サレルノ県,サレルノ西南西約 15km,サレルノ湾北岸にある港町。ビザンチン帝国の支配に入ってから港町として栄え,9世紀にはピサに対抗する海洋共和国として繁栄したが,1135年と 37年にピサによって破壊され,衰退。美しい海岸にある絵のような古い町で,1997年世界遺産の文化遺産に登録されたイタリア有数の観光地,保養地。なかでも9世紀創建のサンタンドレア聖堂は白と黒の石のファサード (19世紀修復) をもつロンバルド・ノルマン風の建物で,壮麗な青銅の戸口は 1066年頃にコンスタンチノープル (現イスタンブール) でつくられたもの。食品工業がある。人口 5585 (1991推計) 。

関連サイト(イタリア)
Amalfi and the Neopolitan Riviera (AmalfiNet - Tourist Bureau)
Amalfi Coast On Line
Amalfi and Amalfi coast (StarNet)
Costiera Amalfitana Tour: Home Page (Soc. Coop. Ecostiera)
http://www.amalficoast.it/
http://www.amalfinet.it/
イタリアの世界遺産 1997 The Archaeological Area of Agrigento (アグリジェントの考古地区)
ギリシア語ではアクラガス Acragas。古くはジルジェンティと呼ばれ,1927年に現在の名称になった。イタリア南西部,シチリア島南西海岸付近の古い都市。シチリア州アグリジェント県の県都。前 580年頃ギリシアの植民者により建設され,前 480年頃最も繁栄した。旧市域には歴史的な建物が多く,14世紀の聖堂や,中世の聖ジョルジョ聖堂をはじめ有名なバロック様式聖堂が多い。おもにドーリス式の神殿跡が発掘されており,1997年世界遺産の文化遺産に登録。付近に硫黄を産し,化学工業が発達。 8kmほど南西のポルトエンペドクレはシチリアの良港。北方約 100kmのパレルモと鉄道により結ばれている。哲学者エンペドクレス,劇作家 L.ピランデッロの生地。人口5万 4603 (1991推計) 。

関連サイト(イタリア)
Agrigento
Agrigento e Provincia On Line
http://www.mediatel.it/comune.agrigento/
イタリアの世界遺産 1998 Cilento and Vallo di Diano National Park with the Archeological sites of Paestum and Velia, and the Certosa di Padula
(チレント・ディアノ渓谷国立公園および遺跡群と修道院)

エリアまたはウェリアとも呼ばれる。前 540年頃南イタリアのチレニア海岸に建設された古代ギリシア,フォキスの植民市 (アポイキア ) 。現地のルカニア人を駆逐し,前3世紀頃ローマと同盟した。エレア派哲学で有名。植民市時代の遺跡は 1998年近隣のポセイドン神殿などとともに,世界遺産の文化遺産に登録。

関連サイト(イタリア)
PAESTUM - La citt・antica ed il museo (Soprintendenza Archeologica per le province di Salerno, Avellino e Benevento)
Il Parco Nazionale del Cilento e Vallo di Diano (Federazione Italiana Parchi e Riserve)
Parco Nazionale del Cilento e del Vallo di Diano (Centro Turistico Studentesco e Giovanile)
Proposta di candidatura nella lista del Patrimonio Mondiale UNESCO (International Court of the Environment Foundation)
Parco Nazionale del Cilento e Vallo di Diano (CILENTO NET)

イタリアの世界遺産 1998 Archaeological Area and the Patriarchal Basilica of Aquileia(アクレイアの遺跡とバシリカ総主教青銅)
アドリア海北岸に位置するローマの古代都市。前 181年ローマ人が北辺防衛と近隣の金鉱採掘のためにこの地に植民市 (コロニア ) を創設。交通と戦略の要衝として栄え,帝政時代には大都市となったが,452年アッチラに略奪され,市民はベネチアに逃れた。6世紀にはランゴバルド族の支配下に入り政治的に衰退。一方3世紀中頃にできたカトリック司教座は5世紀には首都司教座 (メトロポリタン) となったが,533年ローマから分離,みずから総大司教座 (パトリアルカ) と称した。ローマ教皇セルギウス1世 (在位 687〜701) のときローマと和解。発展して 11世紀にはフリウリ,カルニオラ (1077) ,イストリア (1209) を領地とする公国となったが,1419〜20年フリウリがベネチアに奪われ,45年完全にその支配下に属した。 1751年大司教座に降格。現在はイタリアのフリウリベネチアジュリア州ウディネ県の村。ローマ時代の遺跡と司教座聖堂は,1998年世界遺産の文化遺産に登録。

関連サイト(イタリア)
AQVILEIA (National Association for Aquileia)
I Mosaici di Aquileia

イタリアの世界遺産 1998 Historic Centre of Urbino(ウルビーノ歴史地区)
イタリア中部,マルケ州ペザロエウルビノ県の山中にある町。アンコナ西北西約 70kmに位置する。 12世紀にモンテフェルトロ家領となり,特に 15世紀のフェデリーコの時代には,イタリア・ルネサンスの中心の1つであるウルビノ公国の首都として全盛を誇った。宮殿 (国立美術館) には,ウルビノで生れたラファエロや,ティツィアーノの作品などがある。 1506年に大学設立。 1626年に教皇領。 1860年にイタリア王国に編入された。ローマ時代に築かれ,19世紀に再建された旧市街は,1998年世界遺産の文化遺産に登録。現在の住居地域は囲壁の外に延び,古代の町とは明らかに違っている。主要道路から離れており,観光と大学の町として知られる。人口1万 5125 (1991推計) 。

関連サイト(イタリア)
http://213.26.169.66/

イタリアの世界遺産 1999  Villa Adriana (Tivoli) (ハドリアヌス帝のビラ )
ローマの皇帝ハドリアヌス (在位 117〜138) が市の東 25kmのチボリの郊外に築いた別荘で,この時代の宮苑を今日に伝える数少い遺跡の一つ。広大なローマ帝国の版図を転戦した彼の旅の思い出をちりばめたとされる。ギリシアからはヒッポドロームやペキーレ (絵画装飾を施した柱廊建築) ,劇場,アカデミアを,またアレクサンドリアからはセラピスの神殿に端を発する水流になぞらえたカノプスを配し,大小の浴場や図書館,ニンファエウムなどとされる部分が約 60〜70haの敷地に散在する。軍営などを含み,ほぼ小都市といえる規模で,ビラの各部分は起伏のある敷地の形状に合せて軸線を変えて配置され,廃虚となった今も往時の姿を十分偲ぶことができる。

関連サイト(イタリア)
Piazza Armerina
La Villa del Casale a Piazza Armerina

イタリアの世界遺産 1980 Historic Centre of Rome, the properties of the Holy See in that city enjoying extraterritorial rights, and San Paolo fuori le Mura
(ローマの歴史地区)ー
☆「La Brezza Italiana」ローマのページ☆
イタリアの首都。イタリア中西部,ラツィオ州の州都,ローマ県の県都。テベレ川にのぞみ,「七つの丘」を中心に発達。カンパーニアとエトルリアを結ぶ道路が丘下を通じ,前 753年にロムルスが城郭で囲まれた都市を建設したのが起源。前 509年から後 476年までの9世紀間,共和国,次いで広大な版図をもつローマ帝国の首都として繁栄した。中世には教皇の所在地であったにすぎず,アビニョンに教皇が移った 14世紀には人口わずか3万 5000を数えるのみとなった。イタリア王国成立 (1861) 後も教皇がフランス軍支援のもとに教皇領として死守していたが,1870年イタリア王国軍によって占領され,71年イタリア王国の首都となった。当時ローマの人口は 20万人足らずであったが,以後,巨大都市に成長した。 1929年教皇とイタリア王国が和解したラテラノ条約により市内のサン・ピエトロ大聖堂を取巻く小地域にバチカン市国が成立した。典型的な地中海性気候に属し,現在は政治,学術,芸術,文化,観光都市であるとともに機械,電気,化学,繊維,食品などの工業が盛ん。市街はテベレ川により,バチカンを含む西岸と東岸に分れるが東岸のほうが大きい。東岸の旧市街は城郭で囲まれるが,現在はその外側に住宅,工業地区が発展しており,特に南方のエウルは,新しい官庁・住宅都市として知られ,ローマ大都市圏が成長している。旧市街のテベレ川寄りには古代ローマの遺跡が多い。ここにフォールム・ロマーヌム,パラチヌス丘,コロセウム,パンテオン,カラカラ帝の大浴場跡などがあり,その北側にコルソ通りなどの繁華街がある。ローマ大学は 1303年創設。そのほかカタコンベ,サンタンジェロ城,パラッツォ・ベネチア,トレビの噴水,ボルゲーゼ美術館,国立博物館など史跡,名所が多い。旧市街の古代ローマ遺跡およびキリスト教建築物群は南郊のサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ聖堂とともに世界遺産の文化遺産に登録されている。人口 268万 7881 (1994推計) 。

関連サイト(イタリア)
Roma OnLine Soprintendenza Archeologica di Roma
Comune di Roma
Rome in Virtual Reality NEOPITAGORICA BASILICA, ROME (World Monuments Watch)
LAZIO - Musei, Archivi, Biblioteche e Mostre in corso (Ministero per i Beni Culturali e Ambientali)
ローマ(イタリア語)
ローマ市観光課(イタリア語・英語・その他)
A.S.Roma(イタリア語)
ローマ県(イタリア語)

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