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古代ローマ帝国の時代に東の前線であったクロアチア、当時、沿岸部はクヴァルネル、ダルマティアと呼ばれており、ザグレブは古代ローマ時代から栄えていたし、国境のドナウ河へ至る要衝であった。隣接する国々の支配を受け、本当に独立国家の形になったのはつい最近のこと。1991年に独立するまでの不幸な戦いからさほど時間がたっていないにも係らず、内戦の傷跡も癒え、多くの観光客を迎えるようになっていることは驚きである。 美しい自然と世界遺産の宝庫でもある。この国の本当の魅力は、アドリア海側はイタリア、特にヴェネツィアの、内陸部はオーストリア、ハンガリーの支配影響を受け、歴史的に東欧文明との交差点でもあることによって多様な文化を蓄積している。旅をしてみて感じたのはそれを支えているのは人々であるということ、とtrもやさしさを感じるお国柄だ。在クロアチア日本大使館、クロアチア観光局はこちら。 この国の観光案内はガイドブックに任せるとし、我々の目線での旅を簡単なメモと映像でつづる。写真はリンクからスラードショーの頁をご覧あれ。写真には多くの美しい自然と遺産や街並みが写っている。本当は人々の素顔にカメラを向けたかった。少しでもそういう雰囲気を感じてもらえると嬉しい。では短い旅を!「クロアチア語を教えて」で少し勉強しておきますか? フランクフルト経由でザグレブ空港に着陸する頃は夜の10時を過ぎている。車で闇の中を都心に向かう。ホテルはARCOTEL ALLEGRA, Zagreb、駅と長距離バスターミナルの近くを選んだ。日本人の好みを知っているのか、バスタブのある部屋に変更してくれた。三つ星だが部屋は広く快適。 明けて朝、外に出るとザグレブの町は思った以上に整然としていて驚いた。駅前から旧市街に向け広々とした公園と道路が伸びていて、色とりどりの市電が走っている。旧市街までは歩いて20分程度、生き生きとした青空市場での買い物も楽しい。クロアチア生活情報で情報を仕入れて街の散策を楽しんだ。くったくのない人々とともに街がすっかり気に入ってしまった。もちろん食事も美味しい。 バスで1時間半ほどのところにサモボルという小さなきれいな街がある。丘陵に囲まれて緑が豊かで、古城を経由するトレッキングなどのコースもある。しかしお目当てはケーキである。サモボルの有名なお菓子「クレームシュニッタ」と言ってとても美味しい。写真でわかるだろうか?ケーキ屋「ウ・プロラズ」にて。
【概略の行程表(ご参考);クロアチア Web Reference】 プルトビチェ国立公園、Plitvicka Parkはザグレブからバスで2時間半、この美しい壮大な森林公園がかつて内戦の戦場だったとは信じがたい。美しい公園をスライドショーでみてほしい。ホテル、Hotel Plitvic(ka Jezeroは湖に隣接した森の中に有り、滝の水音が心を癒す。 一泊してバスで2時間45分、ザダルへ向かう。スプリットへの通過点だ。小さいがきれいな港街だ。小さな半島の先にシーオルガンがある。海風が突堤の空洞を通過するときに心地よい音色を刻む。言わば自然のハーモニカだ。夕方には恋人たちのBGMを奏でる。ビデオ画像でそのファンタジックな音を聞いて見てほしい。ヨットハーバーの側のレストランで明るい陽射しの中、昼食。イタリアンだが結構いける。地元の名士がやってきていた。宿泊は Hotel Kolovare Zadarだが、少し高かった。ザダルの景色はスライドショーでどうぞ。 翌日スプリトへバスで約3時間半。連日のバス移動だが時間も正確だし実に快適だ。1時間に1度程度、休憩がある。ザダルから沿岸部を走ると、多くの入り江とヨットハーバー、Sobe(民宿)が沢山ある。欧州のセレブの保養地となっているらしい。スプリトに着いて驚いたが、この辺りの大都市である。宿泊したArt Hotelは坂を上がった新市街であったが、旧市街、港、デオクレチアヌス宮殿、バスターミナルへは歩いていける距離、部屋も広く快適であった。しかしドイツ人の旅行客のなんと多いことか。日本人のおばさまたちのツアー客もいるが、いずれも一泊か、二泊で通り過ぎていく。さて、スプリトの旧市街には小高い丘陵公園があり、ここからの街の全景と港は素晴らしい眺めだ。二度も行ってしまった。もちろん海鮮をふんだんに使った料理も美味しい。コインランドリがスプリット港沿いのObala Kneza Domagojaの西端にあるFrane教会に沿ったSperun通り(細道)を入った左側にあった。一週間の滞在にはありがたい存在だ。スプリトを拠点に近隣の小都市を巡る。 シベニクは、スプリトからバスで約1時間半、旧市街の町の中は細い道が入り組んでいて、まるで迷路のようだ。丘の中腹あたりにヤコブ教会がある。壁面には多くの人面像が掲げられているが、これは建設当時の寄進した市民が描かれたもの。内戦で建物は大きな痛手を被ったが、市民の手で丁寧に修復された。さらに登ると古城がある。ここからの眺めはさながらローマ時代の船団が行き来する姿を髣髴とさせる景色だ。道を下ってくると突然こんにちは」と声がして、振り向くと小学生の男の子だった。そうだ、クロアチアはサッカーが強い。日本語もそれで知っているのかと思いながら、返事をした。それから、偶然、帰路のバスターミナルで後発でスロベニア経由で南下してきたSご夫妻に出会った。こんなところで出会うとは驚きである。 |
トロギルはスプリットからバスで1時間、小さな島が橋で結ばれ、今は陸続きのようになっている小さな街だ。しかし島の中の旧市街は迷路のような路地を挟んでぎっしりと癒えが立ち並ぶ。街の中央には鐘楼があり老人がアコーディオンを弾いている。島の周りはヨットハーバーがいくつかある。自然の良港が数多く、この街を歴史的に支えてきたに違いない。 マカルスカはスプリットからバスで1時間、シーズンには海水浴場となるきれいな砂浜があり、半島が三角形に海に張り出している散策するにはとてもよい。る。陸に目をやれば険しい花崗岩の岩山がせり出している風景明媚な場所だ。海の香をすいながら一歩きした。ただスプリットからの道が狭くシーズンには要注意だ。 ドブロブニク、城塞に囲まれ、海に突き出すようなこの街はまるで花のようだ。イオニア海の青さと相まって入り組んだ屋根の形と色はまるでバラの花びらのように美しい。小高い丘の上には十字架がたっていなければ、この街が内戦で無残に破壊されたことなど思い出せない。「なにものに換えても自由だけは売り渡してはならない」というのが中世から引き継がれた市民の信念、そういう粘り強さが街の復興を支えたに違いない。話は変わるが、とにかく2009年の5月は暑かった。日中はとても歩けたものではない。この要注意だ。旧市街のホテルは高いので少し離れた高台にあるLero Hotel Dubrovnikに留まるが、部屋も広く、近くにランドリーもあり、旧市街までバスを使わなければならなかったことを除けば快適であった。食事も概しておしかったが、ムール貝、小魚のフリットをたのんだら鍋一杯でてきたのには驚いた ルクルム島はドブロブニクから船で約20分のところある小さな美しい島だ。かつては貴族の別荘としても使われていた。島を散策すると孔雀に出くわした。島を一周して2時間程度、散策するには手ごろだが、暑さには参った。日陰探しながら歩くがばてた。 ドブロブニクから北のリエカまで1泊3食付、22時間の船旅にした。ヤドロリニア社のマルコ・ポーロ号である。船室はベッド2つの個室だが若干狭く窮屈だが、船内は結構ひろびろしているので退屈はしない。フヴァル島などへ立ち寄ることも考えたが、今回はパス、船上から眺めるだけにした。レストランでは日本語が少しわかる給仕が楽しませてくれた。船員をしていて何度か日本に来たことがあるとのこと。ディナーでは赤ちゃんを連れたオースラリア人夫婦に出会った。小さな出会いが楽しい。しかし闇に入る13時間は何も見えない。眠るのみ。 リエカは内陸のザグレブについでイオニア海に面した大きな港街だ。旧市街の中央には大通りがあり、車は入れないので、人々は伸び伸びと歩き、ブランド・ショッピングやそぞろ歩きを楽しんでいる。午前中でも結構な人通りが有り、コーヒーでおしゃべりを楽しんでいる。流石にお昼時は暑くなるため少ないが、また夕方から増えてくる。人は親切に道を教えてくれるし、バスなどの情報も実に合理的に手に入るシステムがある。時刻表をすぐにプリントしてくれるのだ。もちろん交通機関ではほとんどの場合英語が通じるシ、一部ではイタリア語も通じる。この国に来て言葉でストレスはほとんど感じない。観光客に実にやさしいシステムをもっている。自由化されてわずかの時間に遅れの少ないバス交通システムを作り上げるこの国のパワーは一体どこにあるのだろう?それでも2009年現在ECには加盟できないでいる。 プーラはリエカからバスで2時間半、外に出たとたん日陰を探したくなるほど暑い。ピザ屋の店主がいつも5月ではないと言うから尋常ではないので。温度計は33度をさしている。この街はローマ時代から栄えた港町で遺跡も多い。もっとも有名なのはコロッセオ張りの円形闘技場である。観光はそこそこにピザ屋のお勧めの超大きいカルツォーネ(ピザの包み焼き)をおいしくほお張ると、早々に街を後にした。 ポレチェはリエカからバスで1時間半、セレブが集まるヨットハーバーの街である。小さな街で半日あれば回れるが、その割には豪華なヨットが数多く停泊している。昼食を取るが、妙になれなれしい店員もどうもなじめなかった。食事はさほどでもなかった。お店が悪かったか? オパティアはリエカからバスで1時間、もともと別荘地として発展してきたが、今は海水浴で賑わう。緑と海の香りに包まれた素敵な公園もある。昼食取りに二度ほど行ったが、団体客とぶつかると大変だ。日本のそれと変わらない。それとリエカに入る道路は一本道、夕方の渋滞はきつい。要注意の路線である。しかしカフェで食べたケーキは実に美味しかった。名前は残念ながら失念した。 ザグレブまでリエカからはバスで2時間半、日本に帰国する前にもう一泊する。これでクロアチア縦断3週間の自由旅行の最後となる。初めての国で言葉が通じるのか、いささか不安な旅立ちだったが、とても穏やかでやさしい国民性にはおどろている。どこか日本人にも似た心性を持っているような気がした。もともとお触れ合えるものがあると良いなと思った。クロアチアよ、素敵な旅をありがとう。 | ||
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