La Brezza Italiana !!
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ルネッサンスの芸術が彩るフローレンス(花の街) FIRENZE
フィレンツェのシンボル、ドゥオモ。高さ106mの円蓋が大輪を咲かせている。正式な名前はサンタマリア・デル・フィオーレ教会。多くの観光客が集まる。


 フィレンツェの栄華のシンボル、サンタマリア・デル・フィオーレ教会。13世紀末に着工も1世紀以上にわたり未完のままに残されていたクーポラ(円蓋)は、15世紀、ブルネレスキの二重構造の考案により完成する。ルネッサンスの建築学のシンボルでもある。登ると市街が一望できる。

 近くにある洗礼堂の天国の門はルネッサンス発祥のシンボルでもある遠近法による立体感溢れる青銅版レリーフである。このコンテストに同位優勝を拒否してブルネレスキが建築の分野へ転進する。この天国の前に立った芸術家は数多い。ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどによって継承され、ルネッサンス文化が花開いていく。

 ウフィッツィ美術館にはルネッサンスの歴史をたどることができるほどの多くの絵画作品が残されている。「肖像画」のフランチェスカ、「春」、「ビーナスの誕生」のボッティチェッリ、「聖母子像」のリッピ、「受胎告知」のダ・ビンチ、「聖家族」のミケランジェロ、「ひわ鳥の聖母」のラファエロなど傑作が集結して素晴らしいが、入館には並ばなければならない。


 フィレンツェは13世紀から15世紀にかけて毛織物、絹織物、金融で発展した町である。12世紀に自治権を獲得し共和国となった。アルテという職業別の組合組織を作り、これらの代表が議会を運営する独特の共和制であった。これらの制度を逆手にとってのし上がってきたのがメディチ家、とくにコジモ一世の銀行業が当たりフィレンツェを欧州のフィレンツェにしていった。

 フィレンツェの金貨はフィオリノ金貨と呼ばれて金融業の発展を背景に欧州の基準通貨になったほどである。コジモは決して表にしゃしゃり出ることはなく、むしろ裏方にまわり市民を盛り上げていく。とりわけ、パトロネージ、すなわち芸術家のパトロン活動にはお金を惜しまなかった。人文学者を集めて別荘にサロンを開いて支援した。その結果、様々な芸術家を輩出した。これがルネッサンスの始まりであった。

 もう一つに背景には市民の個性的なものを競い合う風潮である。商業の発展は違いを作る出すことが原点である。いろいろなコンテストが行われたという。街の風景の中の様々な芸術作品や建築物に、それをみることができる。観光客で賑わうシニョーリア広場、ピィッティ宮殿、ウフィッツィ美術館、ヴェッキオ橋、市を一望できるミケランジェロの丘 では、旅をするような気分でフィレンツェの写真集もお楽しみいただきたい。フィレンツェへはローマまたはミラノから列車で約3時間である。列車の旅も楽しい。 イタリア地図はこちらからどうぞ。

 街の中にはたくさんのお店があり、買い物好きな方は楽しいだろう。ただ、街は中世のままの石造りであり、看板もほとんど無いため、事前に調べていかないと、どこにお店があるのかわからない。サンタマリア・ノヴェッラ中央駅からシニョーリア広場への一帯はショッピング街である。

 運転手付のレンタカー(こういうサイトがありました。日本語有)
 「当社(Prestige Rent)はフィレンツェの運転手付のレンタカー会社です。
 運転手付で車を借りれば、慣れない土地で地図を見ながら運転することなく、交通
 の不便なアウトレットショップやキャンティのワイナリー等へも楽に行かれます。」
 

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