La Brezza Italiana !!
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エステ家支配で栄えたルネッサンスの街、Modena
テノール歌手、ルチアーノ・パヴァロッティの生まれた古都

(aprile, 2003 7 slides) 

 ミラノから列車ICで約1時間45分、ボローニャからは20分でモデナ駅に着く。街の中心部は歩いて10分程度だが、道路が入り組んでいてわかりにくい。地図を求めてスペイン人の婦人がインフォメーションセンタを聞いてきた。同じ方向なので一緒に歩いた。自動車のフェラーリの本社はマラネッロにある。
 インフォメーションセンタ行くと日本語の地図があった。その上、事務所の青年はこんにちはとかたことで話す。こんなところでと驚いた。

 見所は駅から歩くと正面にぶつかるドゥカーレ宮殿、さらに奥には大聖堂、市の象徴でもある鐘楼(ラ・ギルランディーナ)がグランデ広場をとりまいてあり、少し歩くとムゼイ宮殿がある。すべて歩いていける。特に大聖堂と鐘楼は大理石造りで美しい。ロンバルディア・ロマネスク様式と呼ばれる落ち着いた建物である。

 グランデ広場近くで昼食を取ったが、トイレを探すのに一苦労、バールはトイレを持っていることが経営の条件だが、入れてくれないところがある。公衆トイレも工事中で参った。古い街の近代的インフラに問題ありか?
 
 少し歩くと公園(Parco Pubblico)があり、馬のコンテストをしていた。この街はフェッラーラを追われたエステ家が支配し、学者や芸術家を保護してルネッサンスを開花させた。落ち着いた街の風情がその頃をしのばせる。

 エステンセ図書館にはルネッサンス時に学芸保護政策で集められた60万冊に及ぶ蔵書がある。またエステンセ美術館にはエステ家のコレクションが数多く集められている。因みに、街の中央に位置するドゥカーレ宮殿はエステ家の居城であり、その規模から権力の大きさを想像できる。

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